お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

2017-07-01から1ヶ月間の記事一覧

自分史20

山形の進学説明会に参加したことが縁になって、Oくんが入学してきた。不慣れな金沢での学生生活の相談相手になった。 そのOくんが、たまたま交通事故に遭って、その処理にあたったこともあって、それからサクランボの時期になると、親御さんが毎年おいしい…

今になって・・・

わが家のモッコクにも、セミがやって来て鳴くので、やかましいと家内が言う。このところの暑さを、セミの声がいちだんと高めるようだが、幸い、耳の遠くなったわがには、花火の音どうように聞こえないので、静か静か・・・難聴になったことは、人の話がよく…

よいとしようなあ!

今日も暑かったが、午前中は草刈りをした。いつもの通り、草刈り機で、畑の道と用水の土手と駐車場の3カ所で、早いが、これで盆を越せるといい。市は今日と明日と二日夏のじょんから祭りで賑わう。今晩の踊りに出たいらしく、孫が家内に浴衣を着せにもらい…

わが余命

2016年の日本人の平均寿命が厚生労働省から発表された。男性が80.98歳、女性が87.14歳とのこと。男女とも香港に次ぐ2位だそう。 厚労省の担当者は「がん、心疾患、脳血管疾患の三大死因の死亡率低下が、寿命の伸びに寄与している」と分析して…

自分史19

思うに運命のいたずらか、わが職業生活は、嫌われ役の連続だったのを。一般に人がやりたくない、いやな仕事が、けっきょくは私に回ってきた。 よく言えば、あいつならできるだろうとトップが判断して、私に任せたのかも知れないが、ずいぶんそれで、辛い思い…

ビールにエダマメ

まだ梅雨明け宣言が出ないが、今朝畑に出たら、赤トンボがが舞っている、秋を思わせる天気だった。 今日は、午前中は放送大学に行って、午後は畑仕事で、エダマメの収穫と草むしりと伸びてきたサツマイモのつる返しをした。エダマメは栄養価も高く、いっぱい…

自分史18

金沢移住に際して、はじめ県立高校を希望していたが、完治していたものの結核が災いして、私立高校に赴任することになった。 どういう縁があるのか、この高校でも、やんちゃ者の相手をする役を担うことになった。ちょうど団塊の世代で人数も多かったが、新入…

自分史17

3年の予定を4年間送って、島での生活に別れを告げ、金沢に移転したのが、昭和39年の東京オリンピックの年だった。 親は二人ともいないし、気楽な身なので、引き手があれば、昔の教師のように日本の各地を転々とする生活を夢見ていたが、けっきょくは、こ…

白鵬関、優勝おめでとうございます

白鵬関、優勝おめでとうございます。結びの一番で日馬富士を力相撲で寄り倒し、史上最多の39回目の優勝をとげ、さらに史上最多通算勝ち星を1050に伸ばした。 これで、双葉山の69連勝以外、全ての相撲の記録の頂点に立った。不世出の力士といえよう。…

自分史16

大学へは入ったけれど、4年間食うや食わずのアルバイト生活の結果、就職を目の前にして、社会に出る間際に人生初めての挫折に遭遇した。 一時は落ち込んだが、人生の裏表を知っている元赤線の女将の助言を受けて奔走し、元教師の次兄の伝手で、希望者のない…

孫のこと

小学校は今日から夏休みに入って、通信簿渡しに教育ママがいっている間、孫を一時預かった。当座は、先日科学教室に参加して作ったアンモナイトや三葉虫の化石標本を見せては、はしゃいでいたものの、ママが迎えにきてからは一変・・・Aの数が、自分が思っ…

自分史15

前に戻るが、私の学生時代は大学に入ってからも、ふつうにはいかなかった。 それまで、私を支えてくれた兄は結婚して独立していたが、自分たちの生活を維持するのがやっとだった。 そのため、大学入学を機に私も独立した。北品川の、かっては品川宿であり、…

外反母趾

朝いちばんに床屋に行き、医者に行き、放送大学に行って、午前が過ぎ、午後は昼寝後家内を眼医者に連れて行き、買い物して帰ってから、畑をして一日終了。今日は忙しかった。医者には糖尿持ちなので、2か月に一回通院しているが、この頃、あまり文句を言わ…

自分史14

次兄の結核再発、三兄の統合失調症と、一家が危機的状況に陥った中で、本城先生と出会ったことが契機となって、一家は辛うじて崩壊せずにすんだ。 本城先生は、主宰する金沢の真理実行会本部に一家のがんとなった三兄を預かってくれ、次兄も奇跡的に回復して…

加賀友禅の展覧会

今日の月曜はは海の日なので、ボランティアもお休みだったが、ちょと明日のおしゃべり会の準備に出て、帰りに美術館で加賀友禅の展覧会を観てきた。会場はほとんどが女性で、保存会の先生方が率先して説明役をしていて、力の入れようを感じた。ざん新なデザ…

自分史13

高校時代は、人生では一般には青春期の楽しい思い出の残る時期だと思うが、私にとっては、悔いが残る、あまり思い出したくない負の時代だった。思い出として残っているのは、3年の夏休みに、裏磐梯にさそわれた旅行のみ。その原因は私自身にあった。母死後…

またまた鳩サブレが割れていた

横浜の義姉から、先月送ったメークインのお返しだろう、お菓子三点セットを宅配でいただいた。 ヨックモック、ウエスト、鳩サブレの箱詰合せで、前2店の品は何ともなかったが、鳩サブレ7枚入り箱で3枚が真ん中から割れていた。昨年も同様の品をいただいた…

一日よく動きました

今日は朝いちばんに墓参りに行ってから電話番に出、帰りに近江町市場によって買い物、銀行で金を下ろし、帰宅。 昼飯の後、横浜の義姉一家に送る品を荷造して、郵便局で出した。午後の暑い中は昼寝して、夕暮れになってから畑に出、大きくなったネギ苗を定植…

「メアリと魔女の花」を観てきた

今日は、地元出身の米林宏昌監督のアニメ映画「メアリと魔女の花」を観てきた。 ウイークデイの朝いちだからか、ガラガラで前の席は一人もおらず、横並びに老女性が一人、後ろの席もポツポツで、10人もいただろうか・・・ヒットする作品かは疑問?この頃は…

自分史12

付属に入学して、最初の担任は、若かりし山内太郎先生(後に東大教授)で、母の死後、お悔やみにわざわざ新井宿の自宅まで来てくれた。しかし、過労か、まもなく結核で療養生活に入ったため、大槻健先生(後に早大教授)に代わった。中3の通信簿に「落ちつき…

やっと要領を得た感じ

今日も朝から暑かったが、冷房のきいたボウリング場で、みなさんとゲームを楽しんできた。 この暑い中汗して働いている人には、申し訳ない話だが、わがもフルタイムで54年間、加えてパートタイムで6年間務めたので、若い時にできなかったことを、今になっ…

墓の草むしりに

今日はミーティングに出た後、新盆前にと、奥卯辰山墓地に回って、墓の草むしりに行った。市営なので、周辺は業者がきれいに刈ってあったが。各自の墓地は、その家の管理なので、草茫々にはしておけない。 さすがに、いつもは人影のない墓地も今日はあちこち…

自分史11

戦災で焼け野原になった東京見物に、長兄が返ってきた私の歓迎にか、新橋の闇市に連れて行ってくれた。 当時いちばんと言われていたそうだが、新橋駅前の焼け野原に、露天でおおぜいの物売りが並んで、マーケットになっていた。 見て回るだけだったので、何…

長ネギ作り

毎年畑の雪解けを待って、いちばんに長ネギの種を床に播く、やっと育って苗になった。もう十分大きくなったので、今日は定植する予定だった。 長ネギは生長とともに土寄せをして、だんだんと長くしていく、手間のかかる野菜である。またそのため、植えはじめ…

自分史10

終戦は、疎開先で迎えた。お寺にはラジオがなかったようで、近くの農家へ行って、8月15日の玉音放送を聞いたが、ピーピーガーガーで、もちろん意味も分からなかった。終わって、涙を流して帰る大人を目にして、日本が負けたということ感じた。早々と親が…

臭い話

梅雨時によくある晴天の日なので、今日はニンニクを収穫した。 ニンニクといっても、わが菜園で作っているのは無臭というヤツ・・・品種的にはタマネギ系だそう。ニンニクほどの効能はないといわれるが、美味しいし、夏バテ防止になる。毎年栽培する定番の野…

自分史9

母の記憶は、単にあったというより、そのシーンが今でも目に浮かんでくる映像として、その顔が眼底に残っている。学童疎開で一人家族と離れて旅立ち、母と分かれた渋谷駅の改札口のシーン、そして疎開先から家に帰ってきたとき、台所から母が現れたシーン、…

この嫌な天気なのに・・・

台風も影響してか、県内はどこも大雨警報・洪水警報がでたが、わが市は山のない平野部の町なので、安心だ。でも、これだけ降ると、畑は水浸しになって、軽い物が流されている。 せっかく実ったスイカが、また腐ってしまうのではと、そんな心配ぐらいだ。屋内…

自分史8

父に比べると母は、中学2年まで生きていたし、子どもの頃は、外で遊んでいる時以外は、ほとんど行動を共にしていたから、記憶に残っていることは多い。いちばん身近な存在だったことに間違いない。 いちばんいい例が、小学5年(学童疎開の半年は除き)まで…

歌舞伎の話

今日は町行事恒例の、町ぐるみ美化清掃の日だったが、雨で順延になった。それで、午前中は放送大学へ・・・歌舞伎の話を視聴した。日本の伝統芸能の華ともいえる歌舞伎は、出雲のお国が京都の四条河原で「かぶき躍り」を踊った慶長8年(1603)に始まる…