お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

ご挨拶。

今日金沢脳神経外科病院を退院いたしました。
主治医の先生、看護師さんをはじめ、お世話になった皆様に心から感謝申し上げます。自宅に戻り、これからは養生に努めます。
入院自体はよいことではありませんが、私の人生にとっては、よい体験になったと思います。

改めて深く、御礼申し上げます。

嬉しかったこと

今日はちょっとしたことが、とても嬉しかった。
スーパーで買い物をした。車に積み、カートを返しに行ったところ、一緒のなった奥さんがいた。その方が私のカートを受けてくれ、一緒にして返しに行ってくれた。

老人の私を目にして、そうしたに違いない。ありがとう。ありがとう。身に染みた。

思い出(27)

安青錦関優勝おめでとう。
33年前の話になるあが、国技館に9月場所を見に行った。ちょうど横綱不在の時期で、若貴人気の場所だった。かねがね、家内が一度行きたいといっていた。両親の60回忌で上京したこの機会を利用した。

ありがたかったのは、なかなか手に入らない升席を友人のYが取ってくれたこと。彼が浅草で医者をしていた関係からだった。
4人入れるので、長兄夫婦を招待した。とても喜んだ義姉の顔が忘れられない。三段目くらいから観てたのではなかろうか・・・

思い出(26)

生まれた時には、もう他界していたから、私は両祖父とも縁がない。特に父系では、27歳だったというから、驚く。
昔はこういった・・・業の病、因縁の病と。結核である。今業平とも呼ばれたハンサムボーイだったという。

その血がわが兄弟にながれ、男5人兄弟の内、4人が経験した。特に酷かったのが次兄だった。戦後に一時はやったプラスチックの玉で胸の病巣を埋める手術をした。のちにこれはよくないことが判明し、ほとんどが再手術で取り出したが、兄は例外といえるだろう。

その玉とともに、83歳の生涯を閉じた。兄は祖父に似て、好男子だった。

思い出(25)

大学生だった頃わがルーツを知りたくなって、先祖の地を訪ねたことがあった。静岡県も山奥で両河内村字中里(現清水市)という。ここに武田家の家来だった喜ヱ門・仁右エ門が親子で、織田・徳川軍との戦いに敗れて、逃げ延び、この地に住んだと伝えられている。
びっくりしたのは、先祖代々の墓が庭先にずらっと並んでいたことだった。

喜ヱ門を初代にすると、私は12代にあたる。

思い出(24)

訳あって、金沢に移住したのは、第一回東京オリンピックが開かれた昭和39年(1964)だった。高校2年の担任になった。テレビの初期時代で、教室にテレビを持ち込み、授業中みんなでテレビ観戦したことがあった。

その時何を視たかの覚えはないが、東洋の魔女といわれた女子バレーチームが優勝したシーンは忘れられない。

思い出(23)

問題を抱えながら、だれも行きたがらない島の教員になって赴任した。そこで4年間務めたわけだが、環境に恵まれてか、胸の病は治まってしまった。自然の力としか言いようがない。

初めて担任したクラスにタロウという生徒がいた。当時は問題児といった。勉強は全くしない。その彼を呼んでこう言った。「勉強はしなくていい。ただ一つ、皆の授業の邪魔にならないように・・・」

期待通り、タロウは卒業後新宿へ行って、ヤクザになった。やがて刑務所入り。それも所内でも事件を起こし、18年いた。

20年後、同窓会があって、金沢に移転した私が呼ばれた。最初から、島を離れる最後まで、そのタロウが付き添ってくれた・・・「先生には、たいへん迷惑をかけた。」

思い出(22)

やっと大学卒業を迎え、教員試験にも合格できた矢先に大変なことになった。健康診断で結核が判明したもである。右肺尖に影があるという。一転お先真っ暗となった。アルバイト生活のムリが祟ったとしかいいようがない。

それを、今なら全く考えられないことだが、押しに押して、島の教員に赴任した。残念ながら、わが家系には結核の血が流れている。今業平と呼ばれた祖父は27歳で、父は57歳で逝った。だが、私は90歳まで生きている。

遺伝はおそろしいが、負けてはならない。

思い出(21)

大学時代は勉強どころか、アルバイト生活といっていいほど。毎日のように夕食付の家庭教師と塾の教師で、一人で自活していた。週一回、二千円だったから、月一万円ほどで、授業料も払っていた。

北品川の安い3畳間で暮らした。そこは京浜急行の沿線路で、かっての東海道第一番の品川宿。フランキー堺主演の「幕末太陽伝」の舞台になったところである。そして戦後は赤線地帯の廃止により、部屋貸し屋に転身したのであった。

すぐ側が踏切なので、電車の警報音が耳障りだったが、それに一度助けられたことが思い出される。大事な試験に寝坊し、その音で目を覚ました。

思い出(20)

高校時代にだだ一つ、楽しかった思い出がある。あまり人に好かれるタイプでない私がグループでの山行きに誘われたことがあった。夏休みに裏磐梯の縦走した。五色沼で撮ったみなとの写真がよい思い出となっている。

それ以来無縁になった山登りを60歳になってからまた始めた。76歳で坐骨神経症を患って終わったが、人生を通してみると、一番いい時期だったように感じる。

今はもう歩くのがやっと。