お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

自分史17

3年の予定を4年間送って、島での生活に別れを告げ、金沢に移転したのが、昭和39年の東京オリンピックの年だった。
親は二人ともいないし、気楽な身なので、引き手があれば、昔の教師のように日本の各地を転々とする生活を夢見ていたが、けっきょくは、この地の人になってしまった。

30年経って、島の卒業生の同窓会にお呼びがかかった。下宿して、とてもお世話になったおもん婆さんの墓参りを一度はしたいと心にあったので、これを機会に島に渡った。
その間、発起人のテルと、もうひとりタロウが、最初から最後まで付き添ってくれた。初めての教員生活で、いちばん手こずったのが、タロウだった。
小学校の頃から、末はヤクザといわれていたが、そのとおり中学を卒業して、新宿でその道に入った。風のうわさで、やがて仲間同士のけんかで殺人の罪になったと聞いていたが、さらに刑務所内でけんかして、また人を殺めたため、15年獄中生活を送ったとのことだった。
そのタロウが、私に迷惑をかけたといって、最後まで見送ってくれたのである。
そして優等生だったヒロシが、母子家庭だったせいか、大学に進めず、共産党員になっていて、闘争的な人間になっていた。

人というのは、分からないものである。