お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

自分史18

金沢移住に際して、はじめ県立高校を希望していたが、完治していたものの結核が災いして、私立高校に赴任することになった。
どういう縁があるのか、この高校でも、やんちゃ者の相手をする役を担うことになった。ちょうど団塊の世代で人数も多かったが、新入生の始学期は、各中学からの番長のボス争いで、ケンカが絶えなかった。
その一人だったKは、これは後で聞いた話だが、通学の車中で弱い者から金を集め、金沢駅からは学校まではタクシーできたとのことだった。
こうしたやんちゃ者は、ヤクザの道に入った者もいたが、大人になるとまともになるようである。Kは、今では市会議員を何期も務め、地域の世話役となって活動している。

その後も私は高専教員を経て、大学に招かれることになった。学校法人が設立した大学は、創世期でやんちゃ者や落ちこぼれ者が跋扈し、彼らを指導する教員がいなかったため、厚生補導の仕事に充てられることになった。

世の中の仕事の役割は大きく二つに分かれる、表方と裏方。教育の現場もそうで、私が歩んだのは、どうしたわけか、非行問題の対処をはじめとする、裏方の道だった。

今日から新人のボウリング教室がはじまりました。