お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

自分史14

次兄の結核再発、三兄の統合失調症と、一家が危機的状況に陥った中で、本城先生と出会ったことが契機となって、一家は辛うじて崩壊せずにすんだ。
本城先生は、主宰する金沢の真理実行会本部に一家のがんとなった三兄を預かってくれ、次兄も奇跡的に回復して、長兄との家内工業の兄弟会社に復帰した。
次兄は、戦後流行した合成樹脂球充填術という肺の手術を受けていた。その後ほとんどの患者は再手術して球を取り出している。次兄は死ぬまでそのままだったので、希少な成功例といえるだろう。

そうした縁が元になって、大学生になってから、私は卯辰山にある真理実行会が夏休みになると開催する林間学校に学生ボランティアとして参加するようになった。
卒業して東京都の教員になっても、夏休みには金沢にきたものだった。

そして昭和39年の東京オリンピックの年に、ついに東京から金沢へ移住することになった。

去年ほがらか村で買って、鉢植えにしたカサブランカが、やっと咲きました。