お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

自分史6

昭和20年というとしは、8月15日日本がポツダム宣言を受諾し、無条件降伏した年だが、その5月私一人は富山へ、そして家族といっても母と長兄と次兄の3人が、住み慣れた渋谷から大森に移転した。大森が渋谷より安全ということではないが、大森は洗足池が近くにあって、広い屋敷の家だった。親戚筋に当たるその屋敷の一家が疎開したので、留守番がてらに、そこに住まうことを長兄が提案して、引越しすることになった。
結果として、渋谷は予想通り、空襲を受け、大森は受けなかったので、わが一家は戦災を免れたので、家財は焼けずに残った。

父親を小学2年、母親を中学2年で失ったので、遺産というものには縁がないが、その遺産代わりに、父の中学校卒業作文と母の手鏡、そして古い写真数枚を私が所有している。

その一枚が父が死んだときの葬式の写真で、親戚に囲まれ、母51歳、次兄師範学校生、三兄幼年学校生、すぐ上の四兄は中学生が写っている。長兄だけいないのは、父と上手くいかず、満州に行っていた。

この防空壕で水につかって、ぼろぼろになった写真をいまも大切に保存している。