お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

自分史19

思うに運命のいたずらか、わが職業生活は、嫌われ役の連続だったのを。一般に人がやりたくない、いやな仕事が、けっきょくは私に回ってきた。
よく言えば、あいつならできるだろうとトップが判断して、私に任せたのかも知れないが、ずいぶんそれで、辛い思いをした。

大学においても、学生が事件を起こすと、始末役をするのをはじめ、処分を言い渡すのも私だった。教授会は退学を決めるだけて、実行はしなかった。
学生はどんなことをしても、自らきめる以外は、他から退学を強制されたくない。己の意思に反して他から強制されることをきらうのは、人間だれしも当然のこと・・・その処分をどれだけしてきただろうか。

忘れられないのは、老父が流した一粒の涙。通例、大学は在学は8年間までとしている。それを超えると退学になるが、単位を取れない段階で決まるので、それを申し渡すことになる。
苦労して息子を大学にやったのだろう。その老父にきてもらって伝えた時、隠すように、ほろっと涙を流した。

全ては教授会の決定を実行してきたことによるが、ほんとうに罪なことをしてきた。反面、それがために、救える学生には、救う務めをしてきたつもりである。