お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

自分史21

金沢に移ってからの私の職業生活は、前にも述べたとおり、嫌われ役の連続だったが、人生よくしたもので、最後は人助けの役が回ってきた。
学生の相談にのって、修学を続けられるようにアシストする役であった。

奇しくも、その役につくと同時に、阪神大震災が発生した。忘れもしない、平成7年1月17日のことだった。
関西からは、かなりの学生が在籍していたが、70人超の家庭が大小の被害に遭った。直接の死者が出なかったのが幸いで、全員に見舞金を支給し、そのうち被害の大きい20人あまりの学生に対しては、卒業するまで、大学は学費の免除、奨学金の支給などの支援を行った。
その窓口をしたのが、最初の大仕事だった。
後日、保護者会に出席した理事長が、ある母親から「どこの大学よりも、この大学に入ってよかった」と言われたとかで、報われたそう・・・

その他にもいろいろと、車椅子の学生、白血病の学生、精神不安定の学生などの世話をした。みな卒業していったが、その後どうしているのか・・・音信はない。
ただ親が経済的に困窮して、授業料が払えない学生を救う道が、当時はなかったのが、残念と言えば残念・・・

今日の頂き物は、ポイントでゲットした稲庭饂飩。