お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

自分史15

前に戻るが、私の学生時代は大学に入ってからも、ふつうにはいかなかった。
それまで、私を支えてくれた兄は結婚して独立していたが、自分たちの生活を維持するのがやっとだった。
そのため、大学入学を機に私も独立した。北品川の、かっては品川宿であり、その後の赤線地帯であった宿が赤線廃止とともに下宿屋をやっていた。その三畳間を借りた。確か家賃は月2千円だったと思う。
金はどうしたか・・・入れた大学が、幸いにも教育系の国立だったので、家庭教師にありつけた。
当時の報酬は、月1回1,500円が相場だったが、それを夕食付き1,000円で引き受けた。おかげさまで週に4日のほか、塾の講師などもして、月5、6千円の収入を得た。そして、食事は一日2食で通した。
年に2回の授業料はどうしたか、これも自分で払った。減免制度があったおかげで、毎回申請した。思えば、ずいぶんみなさんの税金で助けられたわけである。残念だったのは、奨学金が何べん申請しても通らなかったことで、後で主任教授から聞いたが、兄が縫製業の会社をやっているということで、経済的に豊かと判断したという。
そういう生活を4年間した結果が、卒業時に出た。国家公務員試験にも。東京都教員採用試験にも合格したものの、最後の健康診断で結核に罹っていることが判明したのである。

お先真っ暗、一機に地獄に落とされたように思った。

明日は通信簿もらい。孫の一時預かりで、マカロンを買ってきました。