お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

自分史10

終戦は、疎開先で迎えた。お寺にはラジオがなかったようで、近くの農家へ行って、8月15日の玉音放送を聞いたが、ピーピーガーガーで、もちろん意味も分からなかった。終わって、涙を流して帰る大人を目にして、日本が負けたということ感じた。早々と親が迎えに来て帰京する子もいたが、私はみんなといっしょに帰る日を待った。
やっと10月になって、その日が来た。みんなで小杉の駅まで歩いていき、夜行の蒸気汽車に乗り、一晩かかって上野に着いた。

東京に戻って、最初に受けたショックが上野駅であった。ベンチで堂々と、これ見よがしと、アメリカ黒人兵と日本女性がキスをし続けていた。(後に、パンパンガールと呼ばれる存在を知った。)
渋谷駅から、歓迎されながら列になって、猿楽小学校まで歩いて行った。暑い日だったので、よく覚えている。学校について歓迎会があったが、区長をはじめ何人もがあいさつが、とても永く感じたことも覚えている。栄養失調になりながらも、夜行できて、一人も倒れなかったことを思うと、当時の子は辛抱強かったと思う。
そして、兄に連れられ、前にも記した洗足池に近い北千束の家に帰り、母と再会した。

毎年フウセンカズラを鉢植えをして、今日はめずらしくも、見たことのないチョウがやって来た。何という蝶だろう。