お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

自分史1

もう先はそうないから、まだ記憶があって、書けるうちに自分史を記しておこうと思う。今日は、いつものように電話番をしたが、まったく何もなかったし、帰宅してからは、これもいつものように畑をして、変わったことはなかった。思い当たる話の種が浮かばないので、第1回とする。

私は昭和10年3月18日に、父義一と母いつの男ばかりの5男として、東京は渋谷の鉢山町46番地で生まれたと戸籍に届けられている。多分間違いはないだろう。
亡母から聞いてたが、ちょうど彼岸の入りで、おはぎをつくろうとかまどをたき始めた時に、陣痛が始まったそうで、家に産婆にきてもらった。父49才、母43才の時の子で、生まれたのも小さかったらしい。母はもう乳が出なかったようで、その上生活も苦しかったらしく、ミルク代節約のため、重湯を使ったとのと。
生まれた時の環境がこうだったからと推測するが、大人になっても、上の兄四人はみな人並みか、それ以上の体格だったが、私一人だけは小さく、また虚弱児だった。こじつけると、いまも牛乳がとても好きなのは、赤ん坊の時に十分飲めなかったからではないかと思うことがある。

父は晩年の子なので、とても可愛がったらしい、食事の時は父の膝の上で食べてたことを覚えている。
甘えん坊で育ったということ。