お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

青少年の自殺におもう

また男子高校生が飛び降り自殺をした。不運にも通りがかった女子大生が巻き添えになった。この同時に若い二人の命が失われた記事を目にして、何ともいいようのない空しい気分にさらされる。このことばかりでなく、近年は青少年の自殺という悲しい事件が多すぎるように思う。
青春時代を振り返ると、自分にも悩み多き時期があった。中でも人生とは何かに悩んだ。自殺ばかり考えていた時もあった。そうしなかったのは、その怖さと己がまだ未熟であるという意識が働いたからだと思う。しかし、その後多くの経験を積みながらも、いまだに確固たる信念に到達できないままでいるが、今という到達時点での持論を披露したい。

私たちがいま生存している、この世界を理解するには、その歴史を知ることにある。それは一言に進化の歴史である。そして生物の進化に欠かせないのは、強いものが弱い者を支配する弱肉強食の環境にある。地球史に私たちが属するホモサピエンスが種として誕生したのは、20万年以上前だといわれているが、猛獣のエサになる弱い存在だった。それが厳しい環境を生き抜き、生物の頂点に立てたのは、脳の進化による。
ホモサピエンスの脳には、互いに助け合い、知恵を出し合い、生きるために必要なものを共有する仲間で作る、共同社会で生きることが、この間にプログラムされた。すべてのヒトは、このソフトを内蔵して生まれてくる。そのソフトが人の本性である。人は社会のため、人のためによいことをして、つくすことがプログラムされている。その本性に反する、自分のことしか考えない、考えられない人は、心が落ち着かず、不安をかかえたままの状態に陥り、自殺にまで至ることがある。ただヒトには、人になる発達段階があり、子どもは自分のことさえできればいいから、エゴである。庇護的に進化した女性にもあてはまる。それが青春期の段階で、自分のことばかりでなく、他人、仲間、社会の存在に気を配れる人に進化する。だから、このことに気づかず、エゴイストのまま大人になった人は最大の発達障害とさえおもえる。
さらにもう一つ、脳はコンピュータとは違う。ヒトの脳は搭載しているプログラムを、善い方にも悪い方にも、自ら書き換えることができる。バグがなく、比類のない、優れたソフト作りが人の一生の仕事ではなかろうか・・・