お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

まことに迂闊だった

昨日の夜、友人Nの名古屋の自宅に再度電話した。
若い女性の声が応えた。家人だろう、私が名乗ると、ちょっとという。

今度は男の声だ。私が電話したわけを話すと、どうもおかしい・・・N本人だった。

これでまたびっくり。Nは健在で、いまも尺八を吹いている。

Nは、自分の名が同窓会報の訃報欄に載ったのを知らない。知らないはずだ・・・会報が送られてきていないのだ。

どうして、こんな致命的なミスを編集者は犯したのだろう。会報は卒業生全員に配られている。社会的には、人を殺してしまったようなものだ。

だれかの情報をそのまま信用して、確認しないで載せたにちがいない。それとも人違いをしたのか?

情報過多の時代だから、何事もそのまま信じるのは危険だ。

私も同窓会報の情報をそのまま信じたのは、まことに迂闊だった。自分で確認してから、昨日ブログを書くのだった。

私もNを殺してしまったのだ。


やっと去年鉢植えにしたサルスベリが一輪花を咲かせた。木が病気にかかっているよう・・・どうしたらいいだろうか?