お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

友人Sのこと

同窓会報が送られてきた。
訃報欄に同級生のSとNの名が載っている。Sが先年亡くなったのは知っていたが、Nのことは知らなかった。年月日が不明とある。名古屋の家に電話したが、家の者が不在であった。

中高一貫の学校で、Nとは親しかった。Nの方から私に近づいてきて、友達になった。
裕福な家庭の子が多い中で、二人とも家庭が貧しかったからかもしれない。ほかの家庭環境も似ていた。
Nは母親、私は両親がいなかったし、共に結核の兄がいた。お互いの家にも遊びに行った。大学は違ったが、それでも3畳間の私の下宿部屋にもきて、就職試験のときなど、机を廊下に出して、泊まらせたりもした。

卒業して、私はすぐ教員の道に入った。Nは、はじめ四日市の役場に勤めていたが、やがて私を追うように、名古屋市の夜間高校の先生になった。最後は夜間高校の校長になって退職した。

彼は職についてから余裕ができたのだろう、趣味のほうでも尺八を習いだして、師匠級にまでなった。なかなかの努力家だった。

教員になってからも、行き来したが、私が7年前、名古屋万博に行って、彼の家に寄ったのが最後になった。その時心臓が悪いとかいっていたが・・・

Nは数少ない、中学時代から付き合ってきた私の友人の一人だった。

心からご冥福を祈る。

後記:このブログは、まことに迂闊だった。Nの訃報は誤報だった。