お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

構想中

午前中、会館事務所に出て電話番をした。電話はなし、訪問客もなし、一人いつもの印刷所の方が会報の校正をもってきた。

いま私は自分史らしきものを書いて載せてきたが、それをもう終わらせようと思っていて、最終回をどうまとめるか、構想中である。

傘寿を迎えた同窓の顔ぶれを見ると、健在者49名、物故者21名、ほかに消息不明が4名いる。生存率はジャスト70%になる。

しかし、その70%も、中身は透析ほかの病人が多い、中には車いすもいるし、老人ホーム入りもいて、健在といえるのは14、5人で、どうみても20人足らずだろう。

もう他界した兄たちもみな、70半ばを過ぎてからは、元気をなくした。

おかげさまで、私はいまも元気で、畑も、ボランティアも、水泳も、ジョギングもできる、これまでの一病息災生活をベースにまとめてみたい。

ただ、残念なことに、過去を振り返って「自分で自分をほめたいと思います」(有森裕子さんの言葉)と言えることが一つもない。


午後、一昨日掘った里芋と帰宅してから抜いた源助をアクエリアスの空き箱に詰め、郵便局に持ち込んで、横浜に送った。明日の午後にはつく。