お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

通信簿のこと

昔の写真を整理しようと思って、アルバムを出した。子どもの時から、その時々に写してもらった思い出の写真を貼って、これまで保存してきた。

中に写真でないものがある。小学校1年から高校3年までの通信簿で、ただ中学1,2年と高校1年が欠けている。

私は昭和16年4月にに生まれた土地の小学校に満6歳で入学した。もう戦時下で国民学校と称していた。その年の12月8日に真珠湾攻撃があった。

兄弟はみな同じ小学校に行ったが、兄たちは成績がトップクラスで、先生仲間では優秀な一家と目されていたようだった。
ところが、最後に入った末っ子の私は出来が悪かった。

いまさら言い訳をするつもりはないが、それは私が3月の早生まれで、それだけ他の子とは発達の差があったからと思う。

初めてもらった小学校1年の通信箋を広げてみた。当時は優、良上、良下、可の4段階評価である。
工作という科目に優がついているだけ、身長も体重も平均以下だが、一年を通して皆出席なのがいいか・・・

身体は小さい方のままだったが、成績は3年生ぐらいで中間層に加わり、卒業する最後の6年生では、習字以外は優がついた。

通信簿で記憶に残っているのは、見当たらない中学2年のときのもので、成績評価ではなく、その時の担任(後に早稲田大学教授となった故大槻健先生)が所見に記した次の言葉である。

「好漢惜しむらくは、明るさに乏し」

それは、いまも心に深く刻まれている。