お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

平成最後の日

今日は平成最後の日。新しい時代を迎えるのに、テレビばかり視ていて、ボーっとしてもいられないので、畑の道と土手のの草刈りをした。これで生活環境が少しはきれいになったと思う。

身の回りもそうだが、きれいにすると気持ちがいい。一番きれいにしたいのは心の中で、次が身体の内外と思っている。
いま認知症を勉強しているが、その原因はまだ解明されていないが、脳に老廃物が排泄されないまま、溜まってしまうのは確かで、脳の中の掃除が行き届かないことにある。
心身は一体だから、わが脳を少しでもきれいにするのを、最後のチャンスである新時代のテーマにしたい・・・

医者とやりとり・・・

昨日は夏野菜の定植、今日は草刈りと二日続きで一日身体を動かしたので、バテ気味・・・80を越してからは、体力が落ちたのを実感している。それでも、まだ何とか畑ができるのでありがたいと思う。
この連休に入る前の日に、かかりつけ医に行ってきたが、血圧は130に80で、「元気だから、100歳を目指したら・・・」という。
わが「100は無理、90まで生きられれば幸い・・・」
医者「とりあえず88を目指したら・・・」
わが「88になったら、町から祝い金も出るので、がんばりますか」

この医者には好きなことをいうことにしている。
この前は久しぶりに罹ったインフルのことででやりとり・・・
医者「予防注射は毎年打たないといけない」
わが「千円出して痛い目に遭うなんて、割が合わない・・・」
医者「好きなように・・・」

このヤブやぶより長生きしてやろう・・・

人生の歩みを西暦で

令和時代を目前にして、これまで元号で頭にいれていたのを改め、わが人生の歩みを西暦でとらえてみた。これからそうしよと思う。
おおまかに区分して・・・
・1930年代:1935年生れなので、幼年時代とした。記憶にあるのは、もらったばかりの古い戦車のおもちゃを家の前の道においといたら、自転車で踏みつけて去っていった大人の後ろ姿。
・1940年代:日米戦争が小学2年から5年にわたった子ども時代、学童疎開を経験し、父を亡くし、続いて母も亡くし、生活はくるしく多難だった。
・1950年代:わが青春時代で、同時に中学・高校・大学時代、思い出はつきないが、楽しかったことはあまりない。
・1960年代:社会に踏み出た、はじめの10年間で、フレッシュマン時代とした。東京オリンピック(1964)の年に、生まれ育った東京から石川に移住して、転職し、結婚もした。
・1970年代:35歳から44歳までの就労時代で前期とした。仕事の上では配置転換、私生活では被災と、その後に生きた、いい経験をした。
・1980年代:就労時代代中期、はじめは職場のトップに任ぜられ、ふさわしい家も建てたが、やがて解任され、窓際族も経験。その後傍系の仕事で復活した。そして最後に糖尿病の宣告。
・1990年代:就労時代後期、ほどほどの仕事をしながら、山登りをはじめスポーツに励んだ。退職までは、給料ドロと言われたかも。
・2000年代:2004年に退職。充電1年後に再就職したが、5年後自ら申し出てボランティアになった。社会的活動上では、燃え尽き時代といえる。
・2010年代:前半は坐骨神経痛で、スポーツは遠ざかったが、鍼灸整体治療の効果が出て、後半はボウリング、陶芸、家庭菜園など、毎日好きなことをして暮らせる、いわば、しあわせ時代。

やっと、トンネル内のサツマイモ苗床で、つるが二本芽を出した。

今度の保釈金は5億円

今日の新聞ニュースで目に付いたのは、ゴーン被告が再保釈されたということ。今度の保釈金は5億円だそうで、前回と合わせると、15億円にもなる。庶民感覚では、事件そのものよりも、よくそんな大金をすぐ出せるものだなあ・・・とすぐ浮かぶ。
これは、日本もアメリカ並みに格差社会化が進んでいるということであろう。日本も富裕層の上位40人が富の半分を独占しているともいわれている。かって一億総中産階級といわれた時代は去って、いまや戦前にまさる財閥の時代になったのだろうか・・・社会の危険な兆候だ。

今日は天気が好くない上、気温も低いので、放送大学で認知症の勉強をし、帰りにヤマギシで野菜苗を仕入れてきた。

頭の切りかえ

これまでは放送大学の視聴室でDVD(CD)教材を頼りに、時間に縛られることなく、自由に学習を続けてきた。テレビ放送で受講するのは、決められた時間に視聴するか、録画するかなので、条件つきになる。それで、放送大学ではインターネットを利用して、科目の一部をネット配信で受講できるように順次進めている。

今年受講することにした科目「アメリカの芸術と文化」は、それができるので、今日はじめて、わが家のマイパソコンで、居ながらにして視聴した。
第一回は講師の紹介と科目の概要、そしてキーワード・・・アメリカの世紀、ソフトパワー、多文化主義、ポップの四つとのこと。

アメリカのことを勉強するにあたって、歴史をこれまでわが国の元号区分で理解していたが、これからは西暦年代でとらえられるように頭の切りかえもしよう・・・できるかな?

夜中に目が覚めたら

昨夜は一日畑をし風呂に入り、いっぱい飲んで、ぐっすり寝れるはずなのに、夜中の2時に目が覚めた。トイレでも、悪い夢でもないので、また寝ようとしたが眠れない。
現役の頃はよくあったが、たいてい仕事でストレスを抱えていて、気が立っていたからで、いまは違う。疲れ過ぎかもしれない。
こんな時どう時間を過ごすか、起きてまた一杯ひっかけるか、パソコンを開いて何か見るか、深夜テレビをみるか、そしてもう一つが、ベッドの上でのストレッチング。
「美しい日本の山々」を視ながら、一時間ほどヨガ体操をしたら、また寝れて、6時半に起床。

庭のキレンゲツツジが咲いた・・・馬も牛の食わない毒性植物とのこと。

マイボールは11ポンド

今日もボウリングの日なので、クラブに参加した。早いもので前期リーグは来月までなので、後期リーグの参加申込書が配られた。第三ゲームで159点を出したし、身体が続く限り、続けるつもりでいる。

いま使っているマイボールは11ポンド(約4.99キロ)で、わがにはけっこう重く、これを右手一本で投げるのだから、肩には相当な負担がかかる。だからスイングするだけで、ボールを投げる力は入らない。それでやれてこれたのだろう。
それに足腰もなんとか耐えられてきた。投げる時に腰が高いとボールの重さで身体が振られるので、できるだけ腰は低くしている。スタートから低い位置で構えるようにしている。

この頃はやっと暖かくなったので、朝は目が覚めたら、ベッドの上で足腰肩のストレッチに精を出している。今日はその効果がでたのではなかろうか・・・

今年は裏年

今日はミーティングを終えてから、裏山の竹藪へ竹の子掘りに入った。今年は裏年だが、少しは出ているかと思ったが、荒れ放題のやぶの中を歩き回って、収獲はやっと小さいのばかり数個・・・去年は袋いっぱい採れて、近所のみなさんにもお分けできたのに。

自然は正直だ。いいことばからは続くない。いいことばかりだと、愚かな人間はそれが当たり前だと思って、有難味を感じなくなる。だから人生は、自分の思うようにはならないようにできている。それでいいんだ。この年になって振り返れば、反省させられることばかりだが、これでよかったんだ。

いまは、すべてをそう思うようにつとめている。心も体も弱く、貧乏人の家に生まれても、こうして晩年を好きなようにして幸せに送れる・・・ありがたい話だ。

頻尿のこと

やっと暖かくなったので、いいかと思ったら、家内が昨夜も3回トイレに起きたという。家内は以前から頻尿だが、年がいったせいか、最近は寒いと夜中に多くなった。それもふつうに出るという。わがは一回起きるかどうかで、それもたいていは明け方なので、そう心配はしていないが、家内はちょっと心配・・・老化現象だと思うが。

以前狭心症の疑いがあって、一時中央病院の副院長に掛ったことがあった。その時相談したら、出ないより出る方がいいといわれ、あまり気にしないできた。この頃盛んに口にするので、一度診てもらおう・・・

今日は、早生のエダマメを定植した。

陶芸教室のこと

土曜は陶芸教室の日なので、今日も行ってきたが、いつも途中で帰ってくることにしている。どうしてかというと、その時間がわが生活のリズムに合わないからで、途中で疲れてしまい、やる気がなくなる。
教室は午後1時から3時までの2時間開かれる。わが生活のリズムは、昼食後は昼寝の時間で、30分から1時間は毎日かならずとる。

その昼寝の時間がとれないことが分かっていたが、陶芸したさに、このカレードの教室に入った。一週間の内、土曜の一日ぐらいは昼寝しなくてもと思っていたが、やはり体力が落ちてしまったようだ。
ところが、今日は朗報があった。来月から教室の開始時間を午後2時からに変更するという。2時なら昼食後十分休めるからていい。
仕事上では午後は1時開始がごくふつうだが、準備する方にはせわしなさが伴う。趣味の世界なのだから、2時開始はベターだ。

カレードは天井まで明るい・・・