お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

また認知症の勉強

今日もまた認知症の勉強をした。その心理的特徴は・・・

・慢性的な不快感:人や物に接してのど忘ればかりが続いている状態に陥っており、周囲からのストレスも加わるので、いつも不愉快である。
・焦燥感:気ばかり焦り、怒りの感情に走りやすい。
・被害感:大切にしているものが見つからないと、すぐだれかに盗まれたと思い、周りの人を疑う。
・混乱:どうしたらいいのかの判断力が低下するため、すぐ混乱する。
・感情の変わりやすさ:ストレスに対する耐性が弱くなっていて、ちょっとした刺激にも激しく反応(怒りに走る)する。
・自発性の低下とうつ状態:自分からする行動力がなくなるため、落ち込むことが多い。

行動面では、その場をとりつくろうとし、作り話をする。遠い人にはそれでもすむが、何でも知っている、近い人との関係がむずかしい。

赤ん坊に対する母親の豊かな愛情とするどい感性(ちょとした兆候も分かる)が対応には欠かせないよう・・・

ヤマブキが咲いた・・・むかしむかし橿原神宮で苗木を買ってきた八重です。

いまの心境・・・

今日は清掃ボランティアに出た。桜並木はもうすっかり葉桜で、車も少なく、いつもの静かさに戻ったよう。一週間もしたら、次のツツジの季節に入るが、それまで花も一休みか・・・平成もあと残り12日となった。5月からは令和元年が始まる。時代が変わっても、自然の巡りは変わることがないから、わがにとっては、この喜ばしい三代も自然に順応して生きていきたい。

受け止めようによるが、平成時代はよいことも、悪いこともあったと思う。令和元年はオリンピックで幕開けするという、すばらしいスタートをきるので、よい年であってほしいほしいが、はや暖冬での夏の水不足が懸念されている。

今年もいろいろ起きるとおもうが、いまの心境を問われれば、良寛禅師のことばに魅せられている・・・災難に遭う時節には災難に遭うがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。これはこれ災難を逃るる妙法にて候。

泥んこ遊び?

今日も天気がいいので、畑を耕した。夏野菜を植える準備はできたが、サツマイモの畝作りに時間と労力がかかる。なんしろ150本以上は植える計画で、しかもすべて手作業・・・体力も落ちてきたから、時間をかけてボチボチするしかない。
しかし、わがにとっては、この労働は少しも苦しくなく、楽しいとさえいえそう。自分でもわからないが、陶芸で粘土いじりするのと同じ感覚で、土に親しめるように思える。子どもの泥んこ遊びの大人版(じじい版?)かもしれない。

そして、いつもこの土いじりといってもいい、畑を耕しているときに心に置いているのは、この土(土壌)は何億年もかかってできた地球の宝であり、ただの泥んこでもない、だれのものでもない、大自然の恩恵であるということ。
この土にたいする愛情に近い気持ちが、野菜作りのささえになっているよう・・・収穫はいうまでもなし。

先月20日に植えたメークインがやっと発芽した。

山野草をいただいた

今日は、めずらしくY氏が来訪された。同じ町内で、むかし何回もいっしょに山登りをしたので、おなじみだが、家にはめったに来ない。株分けした山野草を持ってこられたのである。
もう5年以上前のことだったと思うが、わがが山で採取して、育てていたヒメシャガを枯らしてしまったので、頼んだことがあった。Y氏は山野草のコレクターである。

それが、どうした加減か、いまになって実現した。ハクサンオミナエシ、ヒメシャガ、ノコンギク、ニッコウキスゲ、キイジョウロウホトトギス、ヤクシマノギク、アケボノフウロとたくさんいただいた。
大事に育てよう・・・

ハクサンオミナエシ(白山女郎花)は、オミナエシ科オミナエシ属の多年草。別名、コキンレイカ。

ヒメジャガ(姫射干、姫著莪)は、アヤメ科アヤメ属の多年草。和名はシャガより小型で、似ているから。

ノコンギク(野紺菊)は、野菊の1つでヨメナに非常に似ている。ただし種内の変異は大きく、同種とされるものにはかなり見かけの異なるものがある。

ゼンテイカ(禅庭花)はキスゲ亜科の多年草。一般には、「ニッコウキスゲ」の名前で呼ばれることも多い。また、各地で別々に同定されたため、和名、学名ともに混乱が見られる]。

キイジョウロウホトトギス はホトトギス属の植物の1つ。崖から垂れ下がる植物で黄色い花を下向きに着ける。
ヤクシマギク(屋久島野菊)はキク科シオン属の多年草である。屋久島の固有種で、明るい林の縁に生える。環境省のレッドリスト(2007)では、「ごく近い将来における絶滅の危険性が極めて高い種」である絶滅危惧IA類(CR)に登録されている。

アケボノフウロは、ヨーロッパ~アジア西部原産のフウロソウの仲間。アルプスでは標高2000m前後の丘陵、開けた林床に生えます。花色は濃いピンクで、花時期も長く楽しめます。実生や株の増殖でボリューム良く広がるので、グランドカバーにもおすすめです。

わがの学びはヒマつぶし

息子が勤め帰りに寄った。これまで専業主婦だった嫁が勤めに出ることになったという。孫がもう4年生だし、手も掛らなくなったからのようだ。仕事は老人ホームでの事務職とのこと。協力はするつもりで、学校帰りの孫を預かってもいいつもりだったが・・・辞退した。

教育ママの影響か、孫はわが家に来ると、息抜きし遊んでばかりしていて、宿題もしないかららしい。たまにならということ。まあいいっだろう。何かあったらということで、孫に携帯を持たせて、連絡が取れるようにしたとのこと・・・その時はその時の話。

わが子どもの時は、学校から家に帰って勉強した覚えがない。かばんを机の上に置くだけで、遊んでばかりいたと思う。兄と同じ部屋にわが机も隅にあったが、「鞄を置いとくだけ・・・」といわれた覚えが、いまもあるから。

時代はまったく変わった。世はもう小学生のときから生存競争が始まっている・・・わがの学びはヒマつぶし。

アートが庶民に浸透?

今日は役員会に出席した帰りに21世紀美術館に寄って、現代美術展の洋画・写真・工芸の部を観てきた。明日で終わるというし、桜ももう見納めだし、さらに日曜なので、これまでにない人出だった。

悪い趣味なのか、いやなくせか、わがにはそれとなく人を観察する傾向がある。
今日も作品を眺めながらも、どんな人が来るのか、ついつい目がいく。まったく美術には縁遠そうに見える人がけっこういるから、それだけ金沢では、アートが庶民に浸透しているといえるのだろうか・・・マスコミの宣伝が大きいと思う。

新聞に載った、花の開花やイベントなどの写真と記事を家内が見て、お出かけし、がっかりさせられた経験が何回かあった。そればかりでなく、報道そのものも全幅に信頼するのは愚であろう・・・

ストレッチハイ

やっと少し暖かくなってきたので、朝目の起きはじめに、ベッドの上で股関節ストレッチを始めた。冬の間ずっとしなかったから、堅くなっていて、十分に開脚はできないが、まあまあ開く。これが足腰の運動にとても有効なことは、かっての経験から十分承知してはいるものの、ついつい寒くなると怠けてしまう。それに開脚には痛みがともなう。

実は、この開脚前屈して股関節を広げるストレッチは、この痛みにポイントがある。しばらく我慢して広げていると、その痛みの刺激がだんだんとやわらいできて、ついにはとても気持ちがよくなる。この刺激が脳に伝わって、和らげる快楽ホルモンが分泌するのではと推察している。その人の股関節の堅さによって差がでる思うが、わがの場合、いまは10分以上は痛みに耐えないとならない。
この気持ちがよくなる状態をストレッチハイといっていいとおもう。今朝はこれを経験したからか、とても快調だった。

昨日いただいた初物を家内がさっそく揚げてくれた。

弱点

今日も天気がいいので、畑に出ていたら、畑仲間のSさんがやってきた。先日会った時は、家屋解体の現場に歯たらきに行ってきて、胸が悪く、体調を崩して、食事もままならないといっていた。
マスクをぜずに作業をしたので、ホコリを吸ったかららしい。あまり無理をしないようにと分かれたが、山好きで、さっそく山へ山菜採りに行ってきたとか。初物のコゴミをいただいた。

聞いたら、胸はよくなってきたという。がんでもそうだが、胃腸は手術可能でも、肺がんとなるとほとんどの場合むずかしいから、胸の病はこわい。わがもいちばん注意している。
というのは、かって業の病と言われた肺病が、わが家系に伝わっていたからで、5人兄弟の4人までが、程度の差こそあれ、患った。いちばんひどかったのが次兄で、合成樹脂充填手術までした。めずらしくもその稀有な成功例の一人で、再手術なしに命を全うした。
幸いにも、いまは治療法が進歩したので、そう心配はないが、ちょっと空気が冷たいとくしゃみが出るし、花粉にも弱いので、マスクが欠かせない。
人はだれでも弱点をかかえていると思うが、わがはそれを上げたらきりがない。それでわが身に気を付けてきたのがよかったともいえそう・・・・

わがの健康を喜こぶべきか・・・

今日は鍼灸整体治療を受けてきた。4週間に一回、健康維持のため続けている。治療の主たるねらいは、血流をはじめとする新陳代謝・身体全体の活性維持であるが、特にといえば、足腰の衰えをカバーすることにおいている。

これまで見聞したことから察すると、がんが第一だが、終幕の決定打になるのは、足腰にあるように思っている。家内の父は風邪で一週間寝込んだのがもとで足腰が弱くなり、けっきょくそのまま立ち直れなかった。
ともに役員として運営にあたっていたY氏が最近辞めたいといい出した。数年前に大腸がんの手術をしたで心配していたが、何とか元気でいたものの、腰に来た。わがより四つ下である。
同じ年齢の、出入の庭師もついに仕事ができなくなった。この人も肝臓をこわしてても、続けていたが、引き掛けになったのは腰だった。

これまでは同年代か上の方だったが、この頃はわがより下の年代で、都合の悪くなる人を周囲で見聞するようになった。わがの健康を喜こぶべきか・・・

鉢にした野イチゴと植木のハナズオウの花が開いた。

どう対応したらよいか

今日は雨なので放送大学へ・・・講義は認知症の人にどう対応したらよいかの話で、とても参考になった。
例えば・・・
記憶障害で、何度も同じことを言う(聞く)⇒「さっき言ったじゃない」「同じこと聞かないで」とか怒らない、つきはなさないで、ニッコリ笑って(また)応える。
時間・場所・人などが分からない⇒家の中だったら、大きな時計をそなえたり、トイレのドアにトイレと貼ったりのマークをする。家族さえ忘れたときは、「私はだれとか、あの人は・・・」とか試さない。だれなのかふつうに知らせる。
判断がつかなくなったら、選択肢を二つにして、選ばせる。何を食べますかではなく。パンとうどんのどちらにするかなど。物事をすることができなくなったら(実行障害)、その手順を一つずつ追う言葉がけをする。

その要は、認知症の人は、自分が(他人よりも)物忘れをするようになったことに、引け目を感じているから、それを刺激するような言動はつつしむべきで、思いやりが大切。

だいぶ前から床の間に置いてある、わが家の昼夜共通の電気時計。