お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

自分史2

今日は午前中会館で、会報のN夫人が寄せてくれた原稿を編集した。あとは何もなかったので、自分史を続けることにする。

昭和10年代の渋谷は静かなものだった。東横百貨店があった駅と道玄坂が当時にしては繁華街だったろう。住んでいた鉢山はちょっと離れているので、家の前は小さな畑だったし、近くに広いヤマモトさんの畑があり、また子どもたちのトンボ取りの場になった西郷山があった。山に隣接して、府立第一商業学校(一商)があって、吹奏楽部の練習がよく聞こえてきたものだった。
 財閥が健在だった当時は、上流階級のお屋敷町が渋谷にもあり、南平台から続く一帯には、大倉財閥の広い屋敷があり、徳川一族の屋敷もあったし、すぐ近くに、貧乏長屋との境を高いコンクリートの壁で築いた、永野兄弟の長男である護の大邸宅があった。
大通りは舗装してあったが、脇道はみな地面のまま、その二軒続きの貸家の一つに住んでいた。
ここに小学5年になるまでいた。