お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

43年前の話

11月に入った途端に朝の冷え込みが強い。
もう、今日から冬になると愛用するフリースの上着を出してもらった。二重になっているので、防寒向きでとても暖かく、気に入っていて、外に出るときは、もっぱらこれを着る。
オーバーと違って、室内で脱がなくてもいいし、雪でも降ってよほど寒くならないかぎり、車だとオーバーも要らない。
今日は、これを着て、おしゃべり会に出席した。
席上I夫人が、43年前の会報を持参されて、紹介された。若かりし頃のわがが寄稿した文が、これも若い顔写真入りで載っている・・・遺憾ながら、書いた覚えがない。
ざっと目をとおすと、「歩く」という題で、教職についていた当時の出来事を記事にしていた。
その頃は、山の上町に住んでいて、野々市にある学校までバス通勤をしていた。いまはしないが、年に1回は北鉄のストライキがあって、その日だけは、10キロの道を2時間かけ、徒歩で学校まで行った。
ストライキだといって、休校にはならないし、遅刻したら、担任をしていたし、学生に示しがつかない。
そんなことを書いていた・・・43年前の話でした。

家内が、ふだん履いているつっかけも冬用のカバー付きに替えました。