お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

死に方がよかった

今日は父親の命日で、生きていれば135歳のはず。わが7歳の時だったから、その死は記憶にはっきりと残っている。というのも、死に際にいたのが母と二人だけだったからである。4人の兄はだれも知らなかった。またその死に方がよかった。父はいつものようにどぶろくを飲んで、昼をすませたら、炬燵に入ったまま横になって寝た。その向かいにわがも同じ炬燵に入っていた。やがていつもとは違う高いびきをかきはじめた。その異常な音を台所で耳にした母がきて、叫びながら揺り起こしたが目覚めなかった。そのまま逝った。死因は脳溢血とされた。
後に聞いた話では、わが父は酒好きで美食家だったそう。そして結核と糖尿持ちながら酒は止めなかった。時代は太平洋戦争二年目で物資が不足しはじめ酒も手に入らなくなった。それで器用な母が、ひそかにどぶろくを造って飲ませた。父の座った後ろの押し入れに白い一升瓶が並んでいたことがいまも目に浮かぶ。好きな酒を浴びるほど飲んで、炬燵で昼寝したままの大往生?であった。ただ57歳と今でいえば若死だった。

その血を引いているこのわがも酒も旨い物も好きで糖尿ときているが、いまやその父を反面教師として、自制しているようである・・・