お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

お彼岸参り

雨にならいうちにと、朝食後すぐにお彼岸参りに行ってきた。墓は奥卯辰山で、墓地に雪はなかったが、山際の陰にはまだ雪が残っている。
着いたときはだれも見えなかったが、帰りがけになって、次々にお参りの人が増え、小雨が降ってきた。

今はむかし、学生時代にわがルーツを知りたくて調べたことがあった。父は次男で、静岡から東京へ出て、所帯をもった。実家は長男が継いだので、その本家を訪ねた。今は静岡市になったが、その前は清水市で、その前は両河内村といって、興津川の上流にある山村であった。
そこで知ったのは、目の前の庭地に初代から10代にわたるの後継者夫婦の墓がずらっと並んでいることだった。初代は喜ヱ門と称して、天正18年(1590)7月9日没とあった。

言い伝えでは、喜ヱ門は武田家の家臣で、わが子仁右エ門と天目山の戦い(1582)に従軍し、武田家滅亡後山中に逃れ、この地に隠れ住んだというが、あてにはならないだろう。ただ、ここに代々の子孫が住まったことは明らかである。
喜ヱ門の出自は不明なので、初代とすると、父は11代で、わがは12代になる。このDNAの継承を尊び、わが先祖を供養するため、この石川の地にも塔を設けた。

鉢植えのシュンランが花を咲かせた。