お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

風呂の話

日本人は風呂好きが多いというが、私は温泉は別にして、ふだん入る回数は少ないと思う。昨日は入ったが、好んで入るほうではない。

汗をかく夏は、毎日シャワーですまし、冬になると一週間に2回が通例。その代わり、どんなに寒くても、朝は上半身裸になって、顔をあらい、かんたんに乾布摩擦する。

また、私のシャツをかぐ世話女房に、匂うといわれては、シャツを替えさせられる。

風呂はぬる目が身体にいいと聞くが、私は熱い湯に肩まで浸かり、さっと入って、さっと出る江戸っ子風である。
これは、子どもの時についた習慣からきていると思う。

戦前の渋谷で育った子どもの頃は、家は貸家で内風呂などなかったから、入浴は銭湯に行くか、内風呂のある近所の家でもらい湯をするかだった。

当時の銭湯はたいてい熱いのがふつう、水を出そうものなら、まわりの大人に叱られる。
やむなく、熱い湯にむりやり肩まで浸からされて、入ったものだった。それが習慣化して、いまに至ったのだろう・・・

銭湯には思い出がある。
当時渋谷の道玄坂に百軒店と呼ばれた一角があった。その坂を越えた奥に、弘法湯という大きな銭湯があった。よく母親に連れら、午後3時に開くのに合わせて入りに行った。小学低学年の頃だったから、いっしょに女湯である。

これは成人してから解ったことだが、その一番湯に円山花街の芸者衆がやってくる。出勤前の彼女たちが、銭湯の鏡の前にずらっと座って、いっせいに身体を洗い、最後に顔、首、肩にかけて水白粉をする。子どもの目に映ったその光景は今でも浮かぶ。

母親が長男(私とは18歳も上だった)の嫁探しを始めた時、幼い私は、弘法湯に行けば、いっぱいお嫁さんがいるといって、笑われたことがあった。

白い化粧をするのは、お嫁さん、と思っていたのであった。