お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

アブラ寄り

先日視聴したパレスチナ問題は、第4次中東戦争とオイルショックの話だった。

第3次で失ったシナイ半島、ゴラン高原を奪回するため、1973年エジプトとシリアは示し合わせて、奇襲にでた。イスラエルはそれを察知していたようだが、第3次の圧勝で油断していたため、ソ連製の地対空ミサイル、対戦車ミサイルの新装備のアラブ側に攻め立てられて、危機に陥った。
イスラエルはアメリカに武器を要請したが、ニクソンは動かなかった。そこでイスラエルは最後の奥の手である核の扉を開いたという。それを知って、ただちにアメリカが大量の兵器を送ったことにより、形成が逆転した。アラブ側背景のソ連はそれを良しとせず、米ソともに核のボタンに手をかける寸前にまでに至ったという。
この戦争も、キッシンジャーのシャトル外交により停戦和平となったが、成立後アラブ諸国は態度を明確にしない国に対して、石油の供給削減の手に出た。
これが1973年のオイルショックで、日本国内はトイレットペーパーがなくなるなど、大変な騒ぎになった。そして、それまで中立的立場だった日本外交はアラブ寄りに踏み切った。
日本を訪れたキッシンジャーはアメリカの政策を説いたが、アメリカ石油の供給にノウを出したためにそうなったともいう。
これをアラブ寄りではなくて、アブラ寄りと日本の弱い立場を皮肉るそう・・・