お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

「この国のかたち五」

今日はさすがに暑くて、何もしなかった。
午前中は会館の電話番に出たが、来客はもちろん、電話も郵便配達もなく、ただいただけで、帰りに少なくなったガソリンをいれてきただけ。
昼からも、冷房を入れた居間で、ぼうっとしてテレビを視ているうちに夕方になり、ブログにかかった。
今日は何もしなかったので、先日読んだ司馬遼太郎「この国のかたち五」から話の種を拾った。

東京から石川へきて、50年を超えるというのに、あまり石川県の歴史を知らないが、この本の中に石川県のことが出てくる。
いまは加賀百万石とかいって、豊かなイメージで彩られているが、加賀はそう古い土地ではないという。
7世紀に律令国家が成立したとき、はじめ北陸は越前、越中、越後だけで、8世紀に越前から分かれて能登ができ、9世紀に入って、越前の二つの郡が分かれて分国加賀が生まれた。その頃は、山麓に水田があるだけで、今日の加賀平野はほとんどが潟や河川氾濫のあとの沼沢のままだった。
それが13,4世紀になって、鉄(スキ・クワ)が広がり、安く手に入るようになり、無名の庶民による開拓がすすめられた。
15世紀後半には、加賀国は大穀倉地帯になり、しかも一円は浄土真宗の講によって結ばれる、本願寺を頂点とする宗教共同体を形成し、守護富樫氏を追放して、「百姓ノ持タル国」とまでいわれた。
その庶民の自治組織は、信長の天下統一まで、100年間続いたのであり、日本歴史上稀有の時代だったといえる。

今ごろになって、やっと鉢のフウセンカズラが生えてきました。