昨日に続いて一月にしてはめずらしく好天になった。今日は町の左義長があるので、注連飾りを持参し、しばらく燃えるのを見ていた。
近年は規制がきびしくなってか、燃やす火を見ることがなくなった。子ども時代の戦前は、冬になると近所のどこかで焚火をしていたので、あたりに行ったものだった。焚火はあたりまえで、その扱いにもなれていた。
退職してからの数年間、青少年育成事業にたずさわったが、秋になるとたいてい焼き芋大会を開いた。こどもたちに家からサツマイモを持ってこさせて、裏山の空地でした。準備は学生に手伝わせ、山から枯れ木を集めてきて燃やした。事前に、管内の金沢西消防署に通知しておくのが常だった。
子どもたちの相手をするのは大学生と高校生だったが、時代のためか、彼らは火の扱いを知らなかった。したことがないので、燃して、消すのはわが一人の役目であった。子どもたちも当然知らないので、わがのやることに目を見張って眺めていた。
火を消すのにと、学生に水を用意さていたが、バケツ一杯で消せるのに、何杯も置いてあった。また焚火の消し方も知らなかった。
火は危ないという教育を受けてきたからに違いないが、その火を適切に扱えないようでは、人間失格としかいいようがないなあ・・・