お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

葉桜

今日も金沢に出たが、山はすっかり葉桜になったが、これもこれで新緑で美しい。早々に仕事を終えて、図書館に行った。
きだみのるの著書を二冊再読した。社会学を学んだ者として、彼の、日本は部落性を本質とする農村文化と、近代性を理念とする都市文化の二重構造であるという説には同感できる。
いま法人の役員として仕事をいっしょにしているY氏は、地元農家の出身で、東京で育ったわがとは、かなり考え方、処し方が違うという点を感じている。
なかなかの働き者である彼のいちばんの関心は、収支の勘定であり、何かにつけ出るを惜しみ、入るの失うのを嘆く。しかし、これを世知に長けているというか、目的を達するためには、法もなく、ただではない裏道をも使う。

これはY氏ばかりではない、政治屋といわれる連中や、政治献金を名目につかう企業屋のやり方と、本質は同じではないかと思う。

きだは、部落性は共同体に、生きるために自然にそなわった性格であって、本来的であるという。いわば、人間個人もその社会も、その存在は、理想と現実、表と裏が一体であることで成り立っている。

西田哲学が、存在を絶対矛盾的自己同一としたことに、またいきついた。