お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

今日は無情の雨

満開の桜に、今日は無情の雨で、いつも車の絶えない卯辰山道が今日は閑散としていて、たまにしか通らない。
午前中は、電話番をしながら原稿の打ち込みをした。来客が二人で、電話は一本もなかった。

午後も小雨が止まないので、晴耕雨読をまね、青空文庫を開いて、安吾の作品を読んだ。もうこの年になると、あっても読んだというだけで、内容については、あまり記憶にない本が多い。安吾の作品は、名前だけのよう。出世作となった堕落論、白痴を読んだ。人間の、あからさまな生の姿をみたような印象が残った。
この前知った、少女を誘拐し、2年間にわたり隠し通した千葉大学卒業生のことも、白痴を読んで分かるような気もするが、所詮、人間という生き物は不可解な存在だということに、あらためて行きついた。
人間ばかりでない、宇宙そのもの、この宇宙で起こるすべてが、現象は解き明かされることはあっても、存在そのものの本体は分からないし、あるともないとも分からない。
思うに、残るは思考を止め、自然のままに生きること・・・禅でいう止観、これが無心、空、悟りの境地であると感じているが、いつまで経っても、心臓と同じ、脳は動き続ける。

わが家の花蘇芳も咲いたので、載せました。