お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

今になって、はまりそう

先日帰りがちょっと早かかったので、図書館に寄って、坂口安吾の「道鏡」(大活字本)を読んだ。
授業で学んだ道鏡は、日本史上、天皇の位を狙った唯一の怪僧であったが、安吾の解釈は違って、藤原氏にハメられた人物としている。
今日をいつもブログを読んでくれているA氏を訪ねたら、石原慎太郎が田中角栄像を著した「天才」があった。角栄氏をアメリカにハメられた人物としているという。

真実はどうだったのか、過去のことを明らかにするのは、まず不可能に近い。しかも権力闘争であればあるほど、自分に都合の悪いことは隠し、世人をあざむくことが多い。その点、宿敵をえがいた「天才」は真実に近いかも・・・

過去の真実を明らかするのは、史実ばかりではなく、稀に現れる人間の鋭い感性によると思う。あまり関心がなかったが、安吾氏の感性はそうではなかったか・・・今になって、はまりそう。
ウイキぺディアに紹介されている三島由紀夫評(下掲)を読んで、なお感じた。

写真は、今朝散歩がてらに撮ったわが町と隣町の公園の桜と収獲したケールの花芽・・・こういう物を食べるといい。

坂口安吾は、何もかも洞察してゐた。底の底まで見透かしてゐたから、明るくて、決してメソメソせず、生活は生活で、立派に狂的だつた。坂口安吾の文学を読むと、私はいつもトンネルを感じる。なぜだらう。余計なものがなく、ガランとしてゐて、空つ風が吹きとほつて、しかもそれが一方から一方への単純な通路であることは明白で、向う側には、夢のやうに明るい丸い遠景の光りが浮かんでゐる。この人は、未来を怖れもせず、愛しもしなかつた。未来まで、この人はトンネルのやうな体ごと、スポンと抜けてゐたからだ。太宰が甘口の酒とすれば、坂口はジンだ。ウォッカだ。純粋なアルコホル分はこちらのはうにあるのである。
— 三島由紀夫「内容見本」(『坂口安吾全集』)[5]