お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

母の手鏡

洗面台の引出を整理していたら、母の手鏡が出てきた。
母は、私の中学2年のとき、57歳で逝ったので、生きていれば122歳になる。町医者は腸閉塞と診断した。今だったら死ぬ病ではない。戦後の混乱期のことだったので、無念である。

何につけても、よく工夫して、上手に作った。とくに料理上手だったと思う。私は末っ子だったので、いつも連れ立って歩いた。品物を買うときに必ず値切るのがいやだったが、今想うと懐かしい。

沼津の里に行くとき、品川から汽車に乗る。空席がないと、乗客に端から順番にどこで降りるのか聞いていく、そして一番先に下りる人の側にしゃがんで待った。これもいやだった。

私は、容貌が母親似であるが、この心臓の強さには似なかったようだ。

この手鏡は母の唯一の形見で私のお宝。これを見ると、いろいろ思い出すのである。