お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

秋分の日

秋分の日の今日は、秋の彼岸参りに卯辰山墓地公園に行ってきた。台風が去って、晴れ間が出たので、お参りの人が次々と来る。園内の一方通行の道は片側が車でうずまった。

私は末っ子なので、両親は横浜にある本家(長兄)の墓に眠っている。父親は次男だっので、総本家がある。
総本家は、今は静岡市になったが、興津川上流の山の中である。学生時代に一度訪れただけだ。

そのとき、庭先にずらっと並んでいる先祖の名が刻まれた墓石を記録してきた。初代喜ヱ門、天正18年(1590)没、第2代仁右エ門、寛永8年(1631)没、以下第10代の私の祖父(明治19年没)にあたるまでの夫婦(初代だけ妻の墓がなかった。)の19の墓石が家系を物語っていた。

言い伝えによると、武田軍下の喜ヱ門・仁右エ門の親子は、織田・徳川軍に天目山の戦い(1582)で破れ、一族と山中に逃げ込んで、生きながらえたという。それ以前のことはわからない。喜ヱ門・仁右エ門の出自は、甲斐か信濃だったろう。

喜ヱ門を初代とすれば、私は第12代にあたる。ルーツが400年前まで遡れるのだから、よしとしなければならない。