お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

大阪城の話

今日視聴した大阪城の話はおもしろかった。御厨貢vs.井上章一対談形式の講義だったが、井上先生(国際日本文化センター教授)の話のほうだった。

明治以降日本の城はすべて陸軍が所有して、軍用地となった。戦後地方公共団体の所有になってから、ほとんどが公園(金沢では大学)となって、はじめて一般に開放され、市民の憩いの場になった。その中で、戦前に軍用地が公園になった唯一の例外が、大阪城だったという。東洋のマンチェスターと呼ばれ、スモッグ都市化した大阪は、中心地に広大な公園がほしく、帝国陸軍相手に賭けをうった。

大阪は帝国陸軍第四司令部が君臨していたが、大阪市長が司令部にうまい話をもちかけた・・・公園にする見返りに、庁舎を造ってあげましょう。時は軍縮時代、金もなく肩身の狭い思いをしていた帝国陸軍が乗った。そして、司令部庁舎建設では、お金は集まらないとふんだ大阪市は、旗印に大阪城の復興を掲げ、市民からの寄付を募って集めたという。当時のお金で150万円(住友さんの寄付が大きかったそう)に上ったとのことで、内80万円が司令部庁舎にあてられ、あとがコンクリート造りの天守閣ほかで、1930年(昭和5年)に完成した。

庁舎の建設にあたって、大阪市は城にマッチする和風(本丸御殿?)を希望したが、陸軍は洋風にこだわって、豪奢な旧市立博物館(現在は未使用)になった。大和魂の象徴とも思われた帝国陸軍は実は洋風好みで、軍服も然り・・・それは腰のサーベルを日本刀に変えたのと、見えないフンドシでしかなかったというお話。

徒歩通学の途中、この時期あまり見たことのない花が咲いていた・・・調べて、該当しそうなのが「ブバルディア」という花。

参考:1930年の貨幣価値を現在に換算すると、6〜8千倍といわれるので、当時の150万円は、いまの90〜120億円に相当すると考えられる。