お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

血は争えない。

横須賀の甥(亡長兄の長男)から焼海苔をもらった。東京名産とうたっている。昔は東京湾でも海苔の養殖が盛んだったからだが、今はあまり聞かない。案の定、有明海の海苔で、大田区の海苔問屋が製造。

甥は、卒業後からずっと大田区の小学校の先生をしている。私の影響を受けたと思う。いずれは校長にと思っていたが、管理職の道を選ばす、教育現場一筋で来ている。

今の学校は長く、特別学級の担任しているという。自閉症や外国人の子どもなど、問題が多く、通常の授業についていけない子どもたちのクラスだ。
こういう子どもたちが都内では多くいて、特殊学校が満杯で、ふつうの小学校でも受け入れれざるをえないとのこと。それで今の校長が甥をてばなしたくないらしい。

かって私も東京から金沢に移ったとき、問題の多い、不良の集まりといわれていた学校に、それとは知らずに赴任した。
それでずいぶん苦労した。

甥も私と同じような道を歩んでいるように思える。

血は争えない。