亡き人を偲んで、悼む心で、最後を見送るならば、香典など出す出さないなど問題ではない、といわれる方がいる。
間違っているとはいえないかもしれないが、これは綺麗ごとだと思う。
本当に悼む心があるならば、お参りという行為と金銭という芳志の二つが、少なくても形になって現れないと、俗世間には通じないだろう。
この人生行事は無ければいいのだが、人間に死があるかぎり、そうは行かない。
現役時代、役職がら私はいやになるほど、この儀礼に参加せざるをえなかった。
職場が大学であり、直接学生と接触する立場にあった時期に、よくつらい経験をした。
一般人のケースと違う、若い学生の死。何千人もいたから年に何回か必ず遭遇する。そのすべてに出たわけではないが、参列して両親の顔を目にするほどつらいことはなかった。
なかでも、空しかったのは、学生が加害者となった被害者の子どもの交通事故死に直面した事件だった。やむを得なく、儀礼的に顔を出すだけのことだったが、ずっとうなだれたままの学生、双方の親に会ったが、こんなにいやなことはなかった。
もうこういう経験はしたくない。