先日の義姉の葬儀会場は横須賀のおりょう会館といった。おりょうは坂本龍馬の妻。お龍の終焉の地が横須賀だったことから、営業用にその名を拝借し、宣伝として玄関前に銅像を建てたと推量する。
お龍の墓は横須賀のお寺にあるという。
いい話ではないが、参列して、あらたに感じたことがあった。
一つは、棺おけである、白木ではなく、ピンクの無地花柄の布を張ったもの。見た目が美しく、中にどんな材料を使って組み立てられているのかは全く分からない。
そして、蓋が胸から上と下との二つに分かれている。上の部分は、別にプラスチックの透明の蓋があり、それをかぶせて祭壇に置かれていた。出棺になると、そのデモステレーション透明蓋は取り替えられた。
もう一つは、死に化粧である。お見事なメイクであった。私が最後に会った義姉ではない。まったく別人の顔である。
「よいお顔をされている…」と口にする世間的な言葉が、遺族の慰めになるのだろうか・・・
これは、子供だましならまだしも、大人だましではないか。
棺おけも死に化粧も、葬儀業者のやることが、ここまで来たかという思い・・・
聖徳太子は、世間虚仮(せけんこけ)といった。
同感だ。