お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

阪神・淡路大震災のこと

今日は、忘れもしない17年前に阪神・淡路大震災がおきた日、追悼の集いが朝のニュースで報道された。

当時私は大学の学生相談室で働いていた。本部からの呼び出しがあり、被災学生及び家族の対応の窓口になるよう指示された。私一人でその対応の全責任を負うことになったのである。

被災地域からは、300名を越す学生が大学に在籍していたが、幸にも、学生並びにその家族からは一人も死傷者は出なかった。

家が全壊・半壊、一部損壊した保護者家庭が70件ほどあって、直ちに見舞金を支出した。

その後、被災家庭に対する支援として、大学として学生の授業料減免、返済義務のない奨学金の支給、教育費の貸与等を行い、それらのすべてに私が対応した。

その年入学した学生も、20名ほどおり、彼らが卒業するまでの4年間、被災者支援の仕事は続いた。

その保護者の一人から、どこの大学へ行くより、この大学を選んでよかったと礼状をいただいたことをいまも忘れない。

これが、40年勤務した学校での最後の仕事であった。