お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

大晦日に思う

ネットで注文しといた、おせちを取って来た。梅酒のおまけつきだ。
今日は見るだけ、元旦に息子一家がきたら、いっしょにいただこう。

もう今年も終わる。時の経過は、過ぎし我が人生を顧みるように仕向けるのか・・・この頃、あえて考えようとして、考えるわけでもないのに、自分を振り返ることが多い。

自らの意志と関係なく、頭が脳が自然に活動して、自分のことを考えている。
昨晩も奇妙な夢を見ていたようだが、夢を見ようとして、夢を見るわけだはないように、脳の深部で何か起きているのだろうか・・・

私には「ほんとうに好き」ということ、ものがない。
わかりやすい肉体的欲求、食についても、よくコーヒーが好きで、一日何杯か飲まなければいられない人とは違う。それはコーヒー中毒だともいえるが、中毒になるほどにのめりこめるものはない。
タバコは止めたし、酒も好きだが、飲まないことがあっても苦痛にはならない。他の食い物についても、食い物以外のことについても同様。

何にしても、適当に好きになるが、ある程度に達すると飽きて止めてしまう。

「ほんとうに好き」は、それを奪われたり失ったりしたら、死んでしまうかもしれない強烈な感情や意志を伴う「好き」だ。

脳でいえば「好き」は大脳皮質の前頭葉ではなく、深部の大脳辺縁系や基底核が関わっていて、理性ではなく、感情に依存している部分が多いという。

脳の深部には、遺伝的に受け継がれている何か、あるいは幼い時に刷り込まれた何かがある。その「ほんとうに好き」がある人は幸せだ。

私には、その何かが足りないのだ。物事に熱中する何かが・・・

それで、今になっても、自分とは何か、何のために生きるのか・・・青春時代と同じ悩みを持ちながら生き続けている。

人間ヒマだと碌なことをしないし、考えない。
毎日朝から晩まで忙しく働いて、くたくたになって夜寝るのがいちばんと、曽野綾子が言った。
もっともだ。

辺りは静かで、穏やかな一年の終わりの日になった。晴れやかに元旦も迎えたい。