お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

父のこと

クリスマス寒波がきて、今朝はうっすらと雪が積もった。
今日はイヴになるが、私にとっては69年前に死んだ父の命日に当たる。

小学2年生だったので、わが父のことはあまり知らない。可愛がってはくれたが、怖かったという印象が残っている。

はっきり記憶しているのは、その死に際。炬燵に入って昼寝中に、高いびきをかいたこと。その傍らに、私がいたこと。母が大きな声を出して、起こそうとしたが、眼を覚まさなかったこと。母のいいつけで、近所の伯父を呼びにいったこと。

以下は、すべて母や兄たちから聞いた話。

静岡の山村に二人兄弟の次男として生まれた。父(私にとっての祖父)は、今業平といわれるほどの美男子だったが、結核のため27歳で他界した。
縁を頼って上京し、苦学しながら学校を出たという。当時あった鉄道郵便に入って、列車に乗って仕事をしていた。浜松の宿で働いていた母と知り合って結婚し、渋谷の鶯谷の貸長家に所帯をかまえた。
近くにコルセットをつくる会社があって、夫婦して、その下請けの縫製をして生計をたてた。
多少小金を貯めたというが、投機に手を出して失敗。

その後近くの鉢山の貸家に転居。そこで私は生まれた。大東亜戦争が始まってからは、コルセットの仕事ができなくなり、指圧を習得して開業した。
私は幼心に、母が夜仕事に踏んでいたミシンの音や、父の指圧をうけるために知らない人が出入りしていたことは覚えている。

美食家で、高血圧、結核、糖尿病を患った。

父は享年57歳であった。6年後に母がその後を追った。


が卒業記念に友人ともに撮った写真らしい。向かって前列右端に座っている。この写真と卒業作文が、私に残された唯二の遺産である。