お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

東京オリンピックの年

今年に入ってから、エンディングノートになるかも知れない回顧録を書いている。
発端は、ボランティアで会報編集の仕事に当たっているが、なかなか原稿を寄せてくれる人がいないからであった。

このブログもそうだが、書くことは心の整理に自ずとつながっていく。

今日は、昭和39年東京オリンピックの年にに東京(といっても伊豆大島)から金沢に移住したときのことを書き始めた。その年は大島から都内の学校に転任する予定の年でもあった。

思えば、この年が私の人生の大きな転機になった。この都内に戻らず、金沢へ移住する話に兄たちは、だれも賛成しなかった。私にすると、親はもう二人ともいないし、「人間至る所青山あり」で、東京の雑踏の中に身を移すよりも、どこかへ行ってみたかった。(大島に住み着く気は毛頭無かった。)

結果的に、この石川の地で定職につき、地の娘と結婚し、子をもうけ、墓地も求めて、今日に至った。

人生のやり直しはできないから、これでよかったか、悪かったかの判断はできないが・・・

周囲の反対を押し切ってやってきたが、これでよかったのだと思わないことには、私は救われない。

よい家庭に恵まれ、よい職場に恵まれ、よい人々に恵まれ、経済的にも恵まれ・・・まあまあ健康にも恵まれて、2020年に56年ぶりの東京オリンピックを迎えられたら申し分ない。